今年の抱負2017

 毎年「これをやろう」「あれをやろう」と考えるのが年始なのだが、これまではたいてい「今年は何本小説が出るかな」という考え方だった。が、個人的にこの1、2年で大きく環境が変わったので(主に第一子出産がでかかった、可処分時間的な意味で)、「もう小説の本数を気にするのは止めよう」と今さらながらに開眼。私も37歳なので、いい加減、数字ではなく質で勝負するべきと気づいたのである(言い訳の常套句)。

 もちろん小説は続けていくし、昨年のようにオーディブルであるとか、小説以外の媒体にも小説の形を通してチャレンジしていくことは続けたいと思う。シナリオやなんらかの原作はまったく考えていない。たぶん、私のキャパ的に無理だ。新たな表現手法に習熟する時間がまったく足りない。

 そんなわけで抱負の第1はこれ、「小説の質を向上させる」。当たり前? そう、当然であることを再度真剣に取り組みたいと思ったのだ。

 抱負の第2は家族のこと。仕事も趣味も、家族がいなければ安心して楽しくできない。「家族を大事にする」。当たり前? そう、当然であることを再度(省略)

 抱負の第3が今年から新しく始めようとしていること。
 実は――狩猟だ。
 釣りがオフシーズンである冬に、猟期が始まる。「猟銃所持許可と狩猟免許を今年中に獲得し、11月15日からの猟期に出猟する」ことを第3の抱負とする。
 散弾銃は火薬が怖いので止めました(ヘタレ)。空気銃のみでOKなので、まずは初心者講習試験の合格を目指して勉強中。


 年を食うと1年の過ぎ去る速度が徐々に早くなると言う。だからこそ、日々を大事にして、己の足跡を振り返りながら、たゆみなく進むべき道を進んでいきたいものだ。
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今年の抱負 2016年

 イヤその前にブログ書けよ俺、と今さらながらに思いました。今年のエントリはこれで3つ目。1月に抱負、10月に小説とUXの関係について、で、このエントリ。小説の宣伝もしていない。まあ、宣伝は最近twitterに主戦場を移しているのでブログに書いても意味がないのかもしれませんが。

 ともあれ抱負の総括をしましょう。
 今年の抱負は3つ掲げました。

 一、今後、自分が腰を据えて取り組むべきテーマを設定する
 二、堅実に生きる
 三、大過なく過ごす

 先に2と3ですが、こちらは……うん、まあ、大丈夫だったかな? 12月に病気を引きずって1週間くらい動けませんでしたが、そのくらいで。堅実かと言われればあんまり堅実じゃない財務状況なんですが(嫁に借金してまで車買ったりして)、生活は順調です。
 ここに書けない範囲で深刻なトラブルもありましたがそれも乗り越えました。
 小説家業も来年に向けて種をまくこともできたので、なかなか有意義だったのではないかと思います(進みは遅いのが気になりますが、私自身が昔ほどがっつかなくなったのでくよくよしてもしょうがないなって感じで)。

 で、1です。
 今後のテーマ。
 見つからなかったな〜〜〜〜〜〜。
 ぼんやり見えていることはあるんです。結局のところ、小説家は自らの体験から得たものを文字にしていくしかない。であれば私が積み重ねてきたもの、今時間をかけて取り組んでいること、これからやろうとしていること……こういったことの集大成になっていく。テーマそのものを言語化するのは難しいのですが、できあがってくる作品に色濃く影響が出て行くのかなと。

 ブログを書かなかったことには自分の中で理由があるんですよね。思い悩み、考えていた様々なテーマについて、「まだ書くべきじゃない」と思っているんです。考えた上での結論ならばいいのですが、煮詰める途中でリリースするのもなと。まあ、一方で、とりあえず書いてみなきゃわからないじゃん? と思って書いたのが10月に書いた小説とUXに関するエントリなんですが。
 twitterとは違う表現ツールとしてブログ自体は残しておこうかと思います。私が進めていること、やろうとしていること、これらについてなにかしら発信できるといいのではないかなと思います。

 皆さんの2016年はいかがでしたか?
 私は……結構、ありました。仕事の役職が変わったせいで楽しい現場の仕事がなくなって責任ある超めんどくさい仕事が降りかかってくるようになり、白髪が増え、会社が移転したために10年以上慣れ親しんだオフィスや街とおさらばすることになり、昼飯を食える店が激減し、新たな緊張感ある他部署とのトラブルに巻き込まれるようになりました。人生の苦悩のうち90%が会社がらみなんでしょう、日本人は。絶対そうだ。
 一方で、子どもがどんどん可愛く育つので癒されています。親ばかになるなって言うほうが無理だわ。子どもが可愛すぎてこれ以上育つのがつらい。絶対俺に似てクソ生意気なガキになるわ。止めて! これ以上育たないで! と心で叫んでいるもののみるみるでかくなります。ペースで言うと、3カ月ごとに足のサイズが0.5ずつでかくなります。脅威。財布的な意味で。
 釣りにもちょいちょい行きました。飲みには……そんなに行かなかったかな? アルコールに弱くなった気がします。
 俺は36歳で死ぬ、なんて子どものころはうそぶいていましたが、するっと37歳になりました。これ以上老いたくなくて死にたいぜ……。

 小説業界もプロフェッショナルとアマチュアの境界がどんどん薄まってきたなとほんとに思います。私もどんどん新しいことにチャレンジしたいなあと思います。

 さて、今日も今日とて喫茶店でコーヒーを飲みながら、がんばりましょう。
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今年の抱負 2016年

 あけましておめでとうございます。今年もがんばって参りたいと思います。
 さて、新年早々――というか昨年後半くらいからつらつら考えていたんですが、今年の抱負はこれで行こうかと思います。

 一、今後、自分が腰を据えて取り組むべきテーマを設定する
 二、堅実に生きる
 三、大過なく過ごす


 先に二と三についてなんですが、昨年があまりにいろいろあったので、自分自身が浮ついている感触があったんですね。こういうの、ほんとによくない。いずれ大きなミスか事故を起こすと思いました。「謙虚に生きる」ことはなにより重要なので、わざわざ目標として「堅実」「大過なし」を挙げました。勇躍すべきときは放っておいてもやってくる(たぶん)ので今は火中の栗を拾うよりも穏やかに過ごせるよう環境を整えていくことを重視したいなと。
 で、一ですが……実はガキのころ、なんとなく自分は三六歳で死ぬと思ってたんです。今私、三六歳なんですけども。まあもし死んだらそういうことなのかと思っておいて欲しいんですが、それはさておき、この「俺はいずれ死ぬ」という感覚を生々しく覚えたんですね。そこで――そろそろ、持てる力の全力を注いで追うべきテーマを見つけないとダメだなと。
 もちろん小説を書くのに全力投球しているんですが、その全力を積み重ねていった先、自分自身が命の炎を燃やしてなにをなしてきたのか、なすべきなのか、こういうことを考えておきたい。そのためのプランというか骨子というか指針というか、なんでもいいのでつかみたい。だって、ねぇ、「お前の人生ってなんのためにあるの?」って聞かれてすぐ答えられます? 無理でしょ? でも手がかりくらい持っておきたい。それを見つけるのが今年かなーって。
 一八歳のみぎりに志向した「小説家になる」という目標は結構前に達成したので、次はいい加減「小説家になってなにをなすか」を決めなければならない。と、そういうことです。
 今年もよろしくお願いします。
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参考文献について

 インターネットは万能ではない。そんな当たり前の真理を心底実感することになるのはそれこそまさにインターネットを通じて調べ物をしているときだ。小説を書くにあたって資料が必要になる場面では、インターネットでの調べ物は簡便でありこれがなくなれば商売あがったりというほどまでだ。だが、インターネットがすべてでは、ない。どうしても知りたい一次資料、二次資料は、結局のところ自分の足を使って現物を探しにいかなければならないのである。
 ふわふわした言い方になってしまったのでわかりやすい例をひとつ。
 世界的にウェブサイトというものが出来はじめたのは1995年あたりだ。ここからインターネットのトラフィック(通信量)は増え始め、以降はずっと増加し続けている(総務省HPより、2003年以降)。この主要因は無論のこと回線品質の改善、安価な提供によるもの、近年ではスマートフォンの増加だが、注意したいのは1995年以前のことである。
 たとえば2001年に流行ったものを調べるには、当時のブログ――というより「日記」を探し出すと生の声が聞こえてくる。だけれど、1994年以前はどうだろう? 1995年、地下鉄サリン事件の当時、私は中学生だった。だから記憶ははっきりしているし周囲の反応も覚えている。しかしその感想は「平均化」されたものではもちろんなく私固有の体験だ。さらにさかのぼれば1989年、「平成」に切り替わった日のこと。さらにさかのぼれば私の生まれる以前――安田講堂立てこもり事件のこと、東京オリンピックのこと。これらは、インターネットに「あらまし」は載っているものの「生の声」がほとんど載っていない類の情報となる。もし「生の声」を拾おうと思ったら、事件前後の新聞の縮刷を漁ったり、関係者の回顧録を漁ったり、当時を生きていた人に取材したりするしかない。(余談だが私は年長者と会話するのが好きだ。それは私の知らない世界を教えてくださるからであり、たずねると彼らは喜んで当時を語ってくれる)

 今の私の主戦場は「ライトノベル」というジャンルだが、ライトノベルに資料が不必要ということはあり得ない。多くの文献に当たり、そのほとんどがこちらの思惑外のものである。読んだ小説で、たまに「参考文献」と書籍の末尾に載っているものを見たことがあると思うが、実際には掲載された倍以上の書籍を読み込んでいる。たった一文、その「事実」について言及しているものを探すために10冊以上読むことだってある。一連のプロセスはひとつの宝探しであり、発見したときの喜びは著述業をやる人間以外には伝わりにくいかもしれない。

 参考文献を活かすに当たって必要なのは「捨てること」なのだからこれもまた皮肉だ。苦労して見つけた記述、自ら書こうとしていることとは関係はないのだがすばらしい名著、それらを容赦なく捨てていく。見失ってはいけないのが「自分の書くべき内容を忘れない」ということだ。至極当然のようで難しい。苦労して読んできた資料には、ノイズが多く含まれている。これらを濾過し、原著の意図を曲げず必要な情報だけ引用していく。
 この点、インターネットは便利かもしれない。「欲しい情報」を自分で検索するのだから、余計な情報はそもそも読まないでいいし、簡単に手に入れた情報は、捨てるにも抵抗がない。

 作家になってから専門書やノンフィクションを読むことが増えた。資料として読まなければいけなくなった、という理由が一番ではあるのだが一方で、読んでいくうちにどんどん面白くなって「あれも読みたい」「これも読みたい」となってしまったからだ。「事実」が持つ重さ。小説にはない読書体験が、そこにはある。
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あとがきに困ること

 あとがきを書くときいつも困る。今の世の中にはブログがあり、ツイッターがある。読者さんが私の日常をもし知りたいと思えばあっという間に手に入れられるではないか。「近況報告」として15年前くらいまでは定番であったあとがきに、もはやその手の情報を載せることができない。
(もちろんブログもツイッターも止めれば近況報告の場として活躍するのであるが、さびしがりの私はどうしても止めることができない。ネット依存症怖い)

 必然的に「じゃ、なんか面白おかしいこと書くか」という流れになるのだが、これが曲者だ。近況報告でないあとがきは読者さんも「お、こいつなんか面白いことやろうとしてる。いいぞ、やれやれ」というスタイルになり(と私は勝手に考えている)、「面白い」のハードルがぐいんと上がるのだ。
 考えてもみたまえ。仕事の最中に「おいおい、そいつは○×だろ〜」とジョークを入れるのと、観客を前にしてハイこれから面白いことやりまーすという掛け声のあとに「おいおい、そいつは○×だろ〜」とジョークを入れるのとでは、全然違うんである。軽い気持ちで臨むと滑るんである。摩擦係数は限りなくゼロ。

 大体、文章で面白いことをやるってのは難しい。エンターテインメント小説は往々にしてコメディ成分を含むのだが、Amazonの感想なんかを見ると「時折入りこむ寒いギャグ以外はよかった。よって星3つ」とか書いてある。おい、寒いギャグで星減りすぎだろ! 人間はこと「ラーメン」と「お笑い」に関しては評論家になるものだ。
(私は自著以外で本を買うときには感想サイトを参考にするのであるが、逆に自著の感想は絶対に見ないようになった。ネット怖い)

 あとがきを書くときいつも困る。なあ、なに書けばいいんだい? あとがきがないと「あとがきがないとか甘えだろ」になり、書けば書いたで「寒すぎて本文を読む気にならず購入を控えた」と言われ(そんなら先に読まないでよぉ!)、清水の舞台から飛び降りる思いで「キャラクターと作者の対談」をやろうものならブリザード召喚大成功。

 結局、スタンダードが一番かもしれぬ。今日も今日とて私はあとがきを書く。年に数度しかない機会だが、気負わず、いつも通りのピッチングフォームで、キャッチャーミットがすぱーんと鳴ればそれでいいかと直球を放り込む。
 はてさて。
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三上 康明,ジミーサムP:原作
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